0717

 

「夕立に気をつけてください。」

ろくに目もくれずに音声だけを拾い上げて、テレビの電源を落とす。なんとかってアナウンサー。毎朝見ているのに、名前がなかなか覚えられない。

部屋に差し込む朝日を全身に浴びて、夕立という言葉は瞬間で姿を消す。傘ではなくゴミ袋を。靴ではなくサンダルを。光の中のわずかな憂鬱に見て見ぬふりをして、今日も出勤。

 

暑い暑いと息をするように呟きながら、じわじわと焼けていく肌を眺める。マンホールの周辺の空気が歪んでいる。赤ちゃんの柔らかいほっぺたを指でなぞるように、マンホールの温度をサンダル越しに感じる。アツイ。

 

ふと顔を上げる。人混みをかき分けてこちらに向かってくる人影を、他人事のように眺めている。

「やあ。」

ぱちりと視線があって、初めて自分の世界の出来事なのだと自覚する。返す言葉を手放す前に、両腕で小さな身体を抱きしめる。頭から肩まで丁寧に輪郭を確かめて、

「久しぶり。」

思ったより小さな声が出た。

 

変わったね、変わってないね、元気だよ、元気じゃないよ。矛盾するようでしていない、心地いい本当と嘘を行ったり来たり。つらつらと言葉を並べると、その隙間を柔らかな表情が覆ってくれる。決して埋まるのことのない、表情だけが知っているその隙間を。

 

元気だよって言ってみて、はじめて元気じゃないことを思い知る。寂しくないよって言ってみて、やっぱり寂しくないことを思い知る。

会えて嬉しい、確かに紡いだ言葉なのに、いつの間にやら私の手を離れ、数メートル先のマンホールの上、じりじりに焦がされている。

 

日が暮れた頃、歩く道のり。行きであんなに気になったマンホールも、いつのまにやら通り過ぎていた。熱さも言葉も、感じないまま。

 

 

 

 

 

荷物はいくつ

 

なんだか背中がやけに重いと思って、立ち止まってみる。

 

背負っているのは、リュックサックひとつ。

それ以外は何もない。

 

昨日も一昨日も背負っていたはずなのに、今日はなんだかいつもと違う。

小さなベンチを見つけて、腰かける。

リュックのチャックを開けると、出てくるものは感情のカケラ。

 

昨日のご飯は外食だった。美味しかったな。

休日に遠出をしたから、ちょっと疲れがたまっているな。

やり残した家事を明日やらなくちゃな。

 

誰に話すでもない小さな感情が、私の意に反してたくさん詰め込まれている。

 

一カ月前に彼氏と喧嘩をしたもやもやが、リュックの底から出てきた。

仲直りもしたし、もう忘れかけていたのに、まだしっかりと残っていた。

 

解決済みの問題は、余計な荷物にならないように、ここに置いていこう。

二人掛けのベンチの隅に、カケラを置いた。

なんだか少し寂しくなって、そっと撫でてみた。

こころなしか色を変えたような気がしたのは、気のせいだろうか。

 

あらかた荷物の整理を終えて、もう一度リュックを背負ってみた。

うん、少し軽くなっている。でもまだ少し重いな。

このままでも歩けるかな。

 

ふと歩いてきた道のりを振り返ってみると、スタート地点ははるか遠く。

その姿さえ、確認できない。

どこまで歩いてきたのかはよくわからないが、たくさん歩いてきたことだけはわかった。

そしてところどころに佇むベンチは、小さな光を放っている。

 

なんの光だろう。

疑問に思って、一番近くのベンチまで歩いてみる。

水晶のような、ガラス玉のような、半透明の球体が僕を優しく迎えてくれた。

 

綺麗な青。

そっと持ち上げて覗き込んでみると、そこには僕が映っていた。

職場の映像だと、すぐに分かった。

上司に叱られて、ひとり泣いていた夜を思いだした。

それと同時に、悔しさから盲目的に打ち込んだプロジェクトが、賞を受賞したことを思いだした。もう一年以上前の話だ。

ひとり泣いていた時は、つらくて悲しくて、ここに置いていったんだっけ。

 

 

ふと、もうひとつ隣のベンチがグレーに光っているのが見えた。

僕は青い水晶をそっと小脇に抱えると、また一本道を戻った。

 

少し小さなグレーの水晶には、僕の友人が映っていた。

友人は、泣いている。僕も、泣いている。

泣いている理由はよく覚えていないが、もうしばらく会っていない友人だ。

そして、これから先もおそらくもう会うことがない友人だ。

なぜだかそんな確信があった。

捨ててはいけない思い出だ。反省しなければいけないのに。

なんでベンチに置きっぱなしになっているのかわからない。

グレーの水晶も抱えると、もう両腕がいっぱいになってしまった。

 

リュックはさっき整理したばかりだしな。

ベンチに腰掛けると、ずっと後ろへと続いていく一本道に目をやった。

赤い光、青い光、黒い光、グレーの光。

こうやって、たくさんの感情を置いたり拾ったりしながら、ここまで来たのだろうか。

忘れた思い出も、忘れたけど思い出した思い出も、捨てきれなかった思い出も、

たくさんあったのだろうか。

 

少し先に、やけにたくさんの光があるベンチを見つけた。

ちょっと遠いが、戻ってみよう。

どうせまた戻ってくるから、リュックはとりあえずここに置いていこう。

そしたら走れるから、早く戻れるだろう。リュックをしっかりと締めベンチに置くと、ふたつの水晶を抱えたまま、僕は目的地めがけて走った。

 

 

たどり着いたベンチは、ベンチが見えなくなるほどの水晶で溢れていた。

僕はここに何を捨てたのだろう。

呆然と眺めていると、水晶の隙間から、声が聞こえた。

 

おかえり

 

驚いて返事が出来なかった。

のそりと起き上がった少年の顔を見て、驚いた。

ぼくと同じ顔をしていたのだ。

 

思ったより、早かったね。どうだった?

 

なんの話かわからないまま、突っ立っていると、少年はきょとんとした顔をした。

 

忘れちゃったの?

 

何のこと?

やっと絞り出した僕の声は、笑っちゃうくらい裏返っていた。

 

しょうがないな。

水晶を優しくなでながら、少年は話し始めた。

 

君が「荷物が重い、歩けない」って、泣きながらここで立ち止まっていたでしょう。

荷物の整理もままならないまま、ここに全部吐き出していったじゃないか。

君はからっぽになった荷物を背負って、どんどん次へと進んでしまった。

ここにはあまりにもたくさんの感情が集まりすぎて、ひとつの人格が形成した。

それが僕ってわけよ。

 

ずいぶん先まで行ってしまったね。

もう背中も見えないくらいに。

荷物が軽くなって、歩きやすかったかい?

 

意地悪な笑顔で、少年は尋ねた。

 

 

僕は思い出した。

すっかり忘れていた。

 

リュックが重たくて、全然前に進めなくて、もがいていたあの頃のことを。

 

荷物を捨てるとね、すごい速さで前に進めるんだ。

もう、周りの景色も、周りの人も何も見えなくなるくらい。

でもね、ある時気づいたんだ。

あまりに速すぎて、なにも確かめられない。

いいことも悪いことも、なにもリュックに詰め込むことが出来ないんだって。

 

どうしてここまで戻ってきたの?

黙って聞いていた少年が不思議そうに首を傾げた。

 

なんでだろう。僕も分からないや。

ねえ、ここに置いて行った水晶を、もう一度荷物に詰めてもいいかい?

 

また重くなって捨てることになるよ。

 

そうかもしれない。

 

また寂しくなって、僕みたいな感情のゴミ箱ができてしまうかもしれないよ。

 

そうかもしれないね。

君にばかり感情を押し付けて悪かったね。でも、この青い水晶も、グレーの水晶も、今のぼくならそんなに重くはない気がするんだ。代わりに、さっき向こうのベンチで拾った、この青いとグレーの水晶を君に渡すよ。僕の代わりに持っておいてくれよ。

 

仕方がないね。持っておくよ。

少年が笑った。諦めたような、察したような、そんな笑顔。

 

だって、君も、僕だもんね。

 

じゃあ、また。

 

僕は少年に別れを告げると、今度は前を向いて進もうと思った。

 

あれ、今来た道がなくなっている。

おかしいな、なんでだろう、、

 

少年に尋ねようとして振り返ると、少年の姿はなかった。

代わりにそこには、置いてきたはずのリュックがあった。

 

 

 

 

守りたいもの

 

自分を偽ることをおぼえたのは、いつだろう。

 

人の為と書いて、偽り。

私が私を偽るのは、誰の為なのだろうか。

私ですら結論が出ていないのに、遥か昔から存在する漢字は知っているのだ。

ひとのためだと。

 

 

となりの誰かが泣いた。

なぜ泣いたのか、分からない。

でも、泣いているのだけはわかる。

 

何も悪いことはしていないのに、心がチクチクと痛む。

なぜだろう。

 

心がチクチクと痛むのに、その子の頭をそっと撫でることはできない。

なぜだろう。

 

 

どうしたの。大丈夫?

そっと近寄ると、触れる事なく声をかけた。

 

大丈夫。

涙にぬれた頬を一生懸命拭きながら、彼女は笑った。

赤い瞳と、目が合った。

 

僕の心がズキンと音をたてた。

 

大丈夫なはずがないだろう。

背を向けて俯く彼女の背中に腕を回しかけて、やめた。

 

これ以上立ち入るな、そう言われた気がしたのだ。

もちろん彼女がそういったわけではない。

しかし、彼女の痛みを知るということは、彼女の弱さを知ることだ。

僕が、彼女が、見ることあるいは見られることを望んでいないなにかが、

僕の前に立ちふさがった気がした。

 

僕はそっと立ち上がった。

何も言わずに頭をなでると、僕は静かにそこから離れた。

 

僕は何を偽って、何を守ったのだろうか。

彼女のすすり泣きが、後ろから聴こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

故郷の小さな公園で花火をしました。

 

新しい世界に憧れていた。

 

 

自分を形作ったもの

自分を育てたもの

そのすべてを壊したくて

想像以上に私は私が嫌いみたいだ

 

そうやって街を飛び出した私は

故郷になんか帰りたくないって思っていたんだ

 

帰れないって思っていたんだ

自分が生まれ変わるまで

 

父からの連絡に蓋をし

母の訪問を切り捨て

そうやって

冷たく綺麗な"東京"の街を生きた

 

 

自分の思うこと

自分の感じること

それはとてもちっぽけなものだけど

それが私の世界なの

 

誰かを真似て作られたのかもしれない

誰にも気付かれずに終わるのかもしれない

けれど その涙こそ

君が君である証だから

 

そうやって

真っ白に輝く夜を超えた

 

 

 

幾年が経ったのだろう

踏みしめた故郷の地はだれも拒まない

自分を知っているこの土地が嫌いだったのに

自分を迎えてくれるこの土地が

愛おしくてたまらないなんて

 

地を見つめ

空を見つめ

人を見つめ

涙がこぼれた

 

 

あそこの木の影に小さな子供が見える

未来を疑わないまっさらな子供の笑顔が

 

 

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お祭り

お題「お祭り」

 

 

薄暗い夜の道 赤く灯る灯篭

水風船の模様が

僕のゆらゆら流れる心を映している

 

人混み渦巻く駅の改札

浴衣姿の君がきょろきょろと僕を探している

 

その姿をながめながら

柱の後ろに隠れてる

少し意地悪をしてみたり

 

 

ひらり 揺れる袖口から見える

まっしろな手がきれいで

 

丁寧に塗られた口紅

いつもより少し光る目元

きちっとまとまった黒髪を彩る髪飾りたち

 

 

聞いてるの。

 

そういって頬を膨らませる君が愛おしくて

思わず抱き寄せた

ふたりだけの世界

 

 

いつもは言えない そんな言葉も

お祭りの夜は優しくて

そっとぼくの背中を押してくれる

 

そんなぼくを君は花火のような

儚く美しい笑顔で包み込んでくれる

 

思わず涙がこぼれた

 

花火がもたらす暗闇よ

どうか、この一瞬を永遠に

 

 

 

 

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帰り道

お題「ちょっとした贅沢」

 

 

夏の晴れた日のこと

日陰のない一本道をゆっくりと歩く

うちわでぱたぱたと仰ぎながら

君は振り向く

 

「コンビニに寄ろう」

 

僕の返事なんて全く聞く気のない彼女は

1番近くのコンビニにずんずん入っていく

 

高い位置で束ねた髪が揺れる

汗がにじむうなじを横目で見ながら

僕はその後ろに続く

 

コンビニという世界に入った僕は

冷風に吹かれ 1人異世界を楽しむ

ぼーっとお菓子のコーナーを見ていると

彼女はカフェラテ片手に買い物を終えていた

 

「いこ」

 

彼女の短い言葉に引きずられ

異世界への名残り惜しさにそうっと蓋をした

 

 

彼女がカフェラテを買う時は機嫌がいい証拠

夏の戯れにも負けず 1日をやりきったご褒美

いつかそう言っていた

 

 

彼女と別れてから数分

ぼーっと彼女の背中を見送り

その姿が見えなくなってから

そっとコンビニに入る

 

さっき感じた冷風も 異世界

今は僕の前に現れない

まっすぐにドリンクコーナーへ向かう

 

僕はコーヒーが苦手だ

ミルクを入れても 砂糖を入れても

全く好きになれない

 

彼女の飲んでいたカフェラテを持って

レジに向かう

 

外に出てみると

夕暮れで空が紅く染まっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

絵の具

 

白いレンガの道をゆく

街灯の明かりが照らす細い道

1人静かに歩く


携えていたはずの地図は

どこかで落としてしまったようだ

持っているものは

未来への期待と未知への不安だけ

過去の自分を白と黒で塗りつぶし

わずかな絵の具で未来を描く


時折すれ違う人はみな

自分とは違う顔をしている

ここはどこだろう

 

手探りで見つけたものを手放せず

持っていたはずの絵の具をこぼしてしまった

あの日の僕はどこへ向かうのか

 


鏡に映る知らない自分と

街を歩く知らないあの子

大きく膨らむ知らない感情を

愛していきたい