荷物はいくつ

 

なんだか背中がやけに重いと思って、立ち止まってみる。

 

背負っているのは、リュックサックひとつ。

それ以外は何もない。

 

昨日も一昨日も背負っていたはずなのに、今日はなんだかいつもと違う。

小さなベンチを見つけて、腰かける。

リュックのチャックを開けると、出てくるものは感情のカケラ。

 

昨日のご飯は外食だった。美味しかったな。

休日に遠出をしたから、ちょっと疲れがたまっているな。

やり残した家事を明日やらなくちゃな。

 

誰に話すでもない小さな感情が、私の意に反してたくさん詰め込まれている。

 

一カ月前に彼氏と喧嘩をしたもやもやが、リュックの底から出てきた。

仲直りもしたし、もう忘れかけていたのに、まだしっかりと残っていた。

 

解決済みの問題は、余計な荷物にならないように、ここに置いていこう。

二人掛けのベンチの隅に、カケラを置いた。

なんだか少し寂しくなって、そっと撫でてみた。

こころなしか色を変えたような気がしたのは、気のせいだろうか。

 

あらかた荷物の整理を終えて、もう一度リュックを背負ってみた。

うん、少し軽くなっている。でもまだ少し重いな。

このままでも歩けるかな。

 

ふと歩いてきた道のりを振り返ってみると、スタート地点ははるか遠く。

その姿さえ、確認できない。

どこまで歩いてきたのかはよくわからないが、たくさん歩いてきたことだけはわかった。

そしてところどころに佇むベンチは、小さな光を放っている。

 

なんの光だろう。

疑問に思って、一番近くのベンチまで歩いてみる。

水晶のような、ガラス玉のような、半透明の球体が僕を優しく迎えてくれた。

 

綺麗な青。

そっと持ち上げて覗き込んでみると、そこには僕が映っていた。

職場の映像だと、すぐに分かった。

上司に叱られて、ひとり泣いていた夜を思いだした。

それと同時に、悔しさから盲目的に打ち込んだプロジェクトが、賞を受賞したことを思いだした。もう一年以上前の話だ。

ひとり泣いていた時は、つらくて悲しくて、ここに置いていったんだっけ。

 

 

ふと、もうひとつ隣のベンチがグレーに光っているのが見えた。

僕は青い水晶をそっと小脇に抱えると、また一本道を戻った。

 

少し小さなグレーの水晶には、僕の友人が映っていた。

友人は、泣いている。僕も、泣いている。

泣いている理由はよく覚えていないが、もうしばらく会っていない友人だ。

そして、これから先もおそらくもう会うことがない友人だ。

なぜだかそんな確信があった。

捨ててはいけない思い出だ。反省しなければいけないのに。

なんでベンチに置きっぱなしになっているのかわからない。

グレーの水晶も抱えると、もう両腕がいっぱいになってしまった。

 

リュックはさっき整理したばかりだしな。

ベンチに腰掛けると、ずっと後ろへと続いていく一本道に目をやった。

赤い光、青い光、黒い光、グレーの光。

こうやって、たくさんの感情を置いたり拾ったりしながら、ここまで来たのだろうか。

忘れた思い出も、忘れたけど思い出した思い出も、捨てきれなかった思い出も、

たくさんあったのだろうか。

 

少し先に、やけにたくさんの光があるベンチを見つけた。

ちょっと遠いが、戻ってみよう。

どうせまた戻ってくるから、リュックはとりあえずここに置いていこう。

そしたら走れるから、早く戻れるだろう。リュックをしっかりと締めベンチに置くと、ふたつの水晶を抱えたまま、僕は目的地めがけて走った。

 

 

たどり着いたベンチは、ベンチが見えなくなるほどの水晶で溢れていた。

僕はここに何を捨てたのだろう。

呆然と眺めていると、水晶の隙間から、声が聞こえた。

 

おかえり

 

驚いて返事が出来なかった。

のそりと起き上がった少年の顔を見て、驚いた。

ぼくと同じ顔をしていたのだ。

 

思ったより、早かったね。どうだった?

 

なんの話かわからないまま、突っ立っていると、少年はきょとんとした顔をした。

 

忘れちゃったの?

 

何のこと?

やっと絞り出した僕の声は、笑っちゃうくらい裏返っていた。

 

しょうがないな。

水晶を優しくなでながら、少年は話し始めた。

 

君が「荷物が重い、歩けない」って、泣きながらここで立ち止まっていたでしょう。

荷物の整理もままならないまま、ここに全部吐き出していったじゃないか。

君はからっぽになった荷物を背負って、どんどん次へと進んでしまった。

ここにはあまりにもたくさんの感情が集まりすぎて、ひとつの人格が形成した。

それが僕ってわけよ。

 

ずいぶん先まで行ってしまったね。

もう背中も見えないくらいに。

荷物が軽くなって、歩きやすかったかい?

 

意地悪な笑顔で、少年は尋ねた。

 

 

僕は思い出した。

すっかり忘れていた。

 

リュックが重たくて、全然前に進めなくて、もがいていたあの頃のことを。

 

荷物を捨てるとね、すごい速さで前に進めるんだ。

もう、周りの景色も、周りの人も何も見えなくなるくらい。

でもね、ある時気づいたんだ。

あまりに速すぎて、なにも確かめられない。

いいことも悪いことも、なにもリュックに詰め込むことが出来ないんだって。

 

どうしてここまで戻ってきたの?

黙って聞いていた少年が不思議そうに首を傾げた。

 

なんでだろう。僕も分からないや。

ねえ、ここに置いて行った水晶を、もう一度荷物に詰めてもいいかい?

 

また重くなって捨てることになるよ。

 

そうかもしれない。

 

また寂しくなって、僕みたいな感情のゴミ箱ができてしまうかもしれないよ。

 

そうかもしれないね。

君にばかり感情を押し付けて悪かったね。でも、この青い水晶も、グレーの水晶も、今のぼくならそんなに重くはない気がするんだ。代わりに、さっき向こうのベンチで拾った、この青いとグレーの水晶を君に渡すよ。僕の代わりに持っておいてくれよ。

 

仕方がないね。持っておくよ。

少年が笑った。諦めたような、察したような、そんな笑顔。

 

だって、君も、僕だもんね。

 

じゃあ、また。

 

僕は少年に別れを告げると、今度は前を向いて進もうと思った。

 

あれ、今来た道がなくなっている。

おかしいな、なんでだろう、、

 

少年に尋ねようとして振り返ると、少年の姿はなかった。

代わりにそこには、置いてきたはずのリュックがあった。